ビズコネクト株式会社様

今回は、ビズコネクト株式会社で取締役としてご活躍されている中国ご出身の青山  旭(あおやま  あさひ)様にお話をお伺いいたしました。青山様は吉林省ご出身で、中国の高校を経て日本へと留学、日本語学校と専門学校を経て、卒業後は一貫してIT業界の第一線でご活躍されています。

(編集部)青山様、本日はお忙しいところお時間をいただきまして、誠にありがとうございます。はじめに中国での学生時代、それから日本へと留学されるきっかけや経緯について教えていただけますでしょうか?

(青山様)こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。私は中国の吉林省出身なのですが、当時は本当にゲームが好きで、あまり勉強をしない困った学生でした(笑)進路をどうしようか考えていた時期に、ちょうど親戚が日本に行くこととなり、思い切って私も一緒に日本へと留学することを決意しました。そこで日本語の塾に通いながら日本語の勉強を開始しました。同時に、親戚の中に日本語のできる方がいたので、その方にも教えてもらうことにしました。そうした短期集中型の勉強が実を結び、幸いにも日本語能力試験のN3を取得することができました。当時の塾の先生がとても良い方で、実践的な会話を重視されていました。私にはそのスタイルがマッチして、日本語がみるみるうちに上達していくことを実感しました。そして、そのままN2取得を目指し勉強を続けていたのですが、当時一番困ったことは日本語を話す際のアクセントでしたね。同じ「あめ」でも「雨」なのか「飴」なのか、意味合いが変わってしまうことは、私にとって非常に難解でした。

(編集部)日本へと留学された当初の環境はいかがでしたか?

(青山様)ちょうど2002年は日中共同声明から30年ということもあり、たくさんの中国人の同級生が学校にいました。約200名ぐらいだったように記憶しています。私は埼玉の志木で暮らし始めたのですが、故郷の吉林省と比べると暖かく、空気が綺麗で青空が美しく、とても住みやすいと感じました。カルチャーギャップも特には感じませんでしたので、すぐに日本での生活に慣れ親しむことができました。

(編集部)当時はアルバイトもされていたのでしょうか?

(青山様)そうですね、学費を稼ぐために、飲食店のホールや工場など、多種多様なアルバイトを経験しました。いま振り返っても、非常に忙しい毎日でしたね。周りを見渡すと、中国人同士で友達をたくさん作っていたのですが、私はなかなか遊ぶ暇もなく、友達を作る暇もなかったですね。とにかく、がむしゃらに働きながら、学校に通っていました。私の場合には中国で働いたことがなかったため、日本で働き始めたことが自らの土台となりました。そのため、異文化ビジネスコミュニケーションによるストレスや問題をあまり感じることはありませんでしたし、当時はまだ、中国語を話せることを活かす、といったことも考えていませんでした。ネット環境もいまほど普及していなかったため、とにかく職場の周りの人たちを見て、どのような振る舞いをすればよいのかを学んでいたように思います。いま振り返ると、自分があまり目立ってはいけないと当時は考えていました。正直、来日した頃はここまで日本で長く働くとは思っていなかったですね。勉強嫌いの私でしたが、日本語との相性は非常に良く勉強しやすかったのが、自分自身の自信につながったことは本当にラッキーでした。

(編集部)その後、専門学校では情報処理を学ばれたのでしょうか? そのあたりで、日本で働くことを決められたのでしょうか?

(青山様)はい、情報処理関連を専門学校で学び始めながら資格も多数取得することができました。また、日本語学校時代にはN1を取得できなかったのですが、専門学校時代に友人たちと日本語勉強の情報を共有することで、無事N1を取得することができました。留学生の多いクラスでしたが、日本人の学生も学んでいましたね。ちょうどその頃、日本のIT業界でITエンジニアとして自らのキャリアを切り開いていくことを決意しました。自分自身の価値を客観的に分析した場合、ITスキルと日本語・中国語を活かして働くことが、最大限自らを成長させる近道であるように思いました。

(編集部) 就職活動はどのように行ったのでしょうか?

(青山様)専門学校の2年生になって進路を決めるタイミングで約20社の企業を受けたように記憶しています。幸い、保有資格やITスキル、学校の成績を評価いただき、複数の企業から内定をいただきました。その中から、社員600名程度のIT企業へと就職することを決めました。ITエンジニアとしての採用でしたね。ちなみに、私が初めての外国人留学生採用だったのですが、あいにく、SPIの成績は悪かったそうです……が、当時その企業ではオフショア開発の方針を固めていたこともあり「国と国の架け橋となるITエンジニアとして活躍してもらいたい」との人事部の期待が込められていたことを後から教えていただきました。自らの日本でやってきたことが認められたような気がして、素直に嬉しかったですね。多くのシステム関連の書籍を短期集中型で読み込むことで理解を深めることができましたし、内定者時代には基本情報技術者試験を受験して合格することができました。

(編集部)入社後の研修期間や新入社員・若手社員時代はいかがでしたか?

(青山様)3ヶ月間の研修を経て、配属先は中国のオフショア開発関連の部署でした。プロジェクトの規模が非常に大きかったため、日本人だと言葉の問題が生じる業務を私が担当していました。これは余談ですが、IT関連の実践用語を日本語で覚えていたため、中国語でのやり取りの際には中国語での専門用語が分からず困ることが多かったですね。また、日本人との上司との間では、折り合いが悪いときもありましたが、自らのスキルを磨けば磨くほど、自分自身の活躍のチャンスが広がることを実感しました。大切なことは、自らがはっきりと意思表示をすること、そして、それが担当業務における裁量の自由度にも影響を与えることを理解しておくことではないでしょうか。もちろん成功ばかりではありませんでしたし、色々な壁にぶつかりながらも一つひとつ乗り越えていくことで、あるプロジェクトのリーダーを任されることになりました。自分よりも年長者の部下を抱えることになり、当時はリーダーシップを教わる機会もありませんでしたので、試行錯誤しながらプロジェクトマネジメントのより良いスタイルを構築していきました。当時は飲み会にチームメンバーを誘いながら、こちらから分け隔てなく、積極的に歩み寄る努力を行なっていました。

(編集部)その後のキャリアはどういった経験を積まれたのでしょうか?

(青山様)若気の至りもあり、思い切って最初の会社を辞めて、そのまま独立することにしました。お客様のもとに常駐するスタイルで営業から簿記に至るまで、すべて自分で行い、大変でしたがとても良い経験となりました。当時は見よう見まねで、ビジネス用語やビジネスにおける敬語の使い方など、多くのことを学び、習得することができたように思います。1年目の決算が終わった後、ご縁があって物流関連企業へと好待遇でキャリア採用していただきました。偶然にも、その企業でも初めての外国人留学生採用となり、不思議なご縁を感じましたね。そして、そこでの経験はかけがえのない財産となり、いまでも物流業界におけるITエンジニアとしては誰よりも様々なことに精通している自負があります。また同時に、日々の業務を遂行する中でマーケティングやマネジメント、リーダーシップなどのスキルアップが必要であると感じ、通信制の大学にも通うことにしました。そうしたキャリアを経て、現在の企業では取締役営業本部長として日々の業務に邁進しています。

(編集部)最後に、様々なご経験を積まれてきた青山様から、留学生の皆さんにメッセージをお願いいたします。

(青山様)自分の価値は自分でつくらないといけない、ということを意識していただければと思います。何事も、勇気を出して挑戦することが自らの価値創造へと繋がります。特にIT業界ではプロジェクト単位・チーム単位で動くことが多いため、全員が一致団結して引っ張っていかないとチームとして成長することができません。全員で目の前のトラブルや難題を乗り越えていくためには、やはり優れたチームワークが必要となってきますし、そのためには高いコミュニケーション能力が求められてきます。私自身、これまでに失敗もたくさん経験してきました。学生時代のアルバイトでは失敗したまま終わってしまい、いま振り返ると「自分の行った仕事はきちんとエビデンスとして残す」といった仕事の基本が徹底できていなかったように思います。けれど、その失敗を糧として、その後の仕事ではエビデンスを残すことを誰よりも徹底して心掛けるようにしています。年齢が若い時には色々なことに挑戦した方が良いですし、ある一定の年齢になったらプロフェッショナルとして一つのことを極める方がその後のキャリアを見据えた場合には良いように思います。留学生の皆さんにも、方向を定めて、どの領域に進むかを常に明確にすることをお勧めしたいですね。目の前の一つのステージを越えることで、また新しい道が見えてくるように思います。企業に就職してから学校で学び直すこともお勧めですし、誰しも、どんな仕事であっても一生勉強ですよね。ともに頑張ってまいりましょう。

(編集部)青山様、本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。

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